宇
宇都宮の歴史オタクさん (9exyxnqc)2025/1/25 21:36削除たまたま通りかかりましたので、写真の文字についてお答えできればと思います。
まず、お写真で写っている文字については、以下の通りだと思われます。
「 鍜治
吉五郎
緘師
明珍長五郎
天保十五年辰年調 」
さて、この意味ですが、まず天保十五(15)年は、西暦で1844年のことです。最後に「調」とあるのは、おそらく「調達」など、この鎧を作った、準備したという意味だと考えられます。
続いて、その上の内容ですが、「鍜治(かじ)」は鎧に使用されている鎧を加工する職人のことで、ポーランド語は分かりませんが、英語で言うと「Blacksmith」になります。これの刀版が「刀鍛冶(かたなかじ・Swordsmith)」です。「吉五郎(きちごろう)」とあるのは鍛冶の名前で、この人が鎧の金属を加工したということです。
もう一方の「緘師」は、おそらく「縅師(おどしし)」の誤りと思われます。「縅(おどし)」は、鎧の「小札(こざね)」と呼ばれる部分を革や糸で結び合わせることで、「縅師」はその職人だと考えられます。「明珍(みょうちん)長五郎」はその縅師の名前です。代々鎧や甲冑を作る職人の一族に「明珍家」がありますので、「明珍長五郎」もその一族なのでしょう。
私がわかるのはこの程度のことです。明珍家については、現在も「明珍本舗」として続いているようなので、そちらに問い合わせると良いかもしれません。
参考文献
門司郷土叢書刊行会編『門司郷土叢書 第4巻』(国書刊行会、1981年)
明珍本舗HP〈https://myochinhonpo.jp/〉、2025年1月25日最終閲覧